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広瀬絣の話。

2018/02/02

 

​絣はカスれているから絣ですよね◎ 

〜〜いいえ!違います!!昔からカスれていない方が良い物とされていました。

 

天野紺屋のある地域は「広瀬町」です。この地域は昔から織物が盛んで、その織物の技術の高さから「広瀬絣」と名前がついて重宝されていました。この地域は昔から雪が多くて、冬の時期になると畑仕事はほぼ出来なくなります。冬の時期の仕事がないところに機織りの技術が伝わってきました!

 

これで春先になると、反物が売れてお金がすぐ手に入る!と喜ぶのですが、伝わってきた技術は、家が大きくないと出来ない技術でした。

 

そんな中、一人が『こんなん作ったらいいがな!』と、ハシゴ状の『へだい』という機具を思いつきます!!住民の小さい家でも、機織り機とへだいさえ置ければ機織り会社の社長になれる発明となりました!

 

そこから広瀬絣の快進撃が始まります!

 

家が職場ですし、すればするだけお金になります!競争もありますので、どんどん生産数が上がり、最盛期には『伊予絣・久留米絣・広瀬絣』と西日本の3大織元に数えられるほどでした!すごいですよね!!いやすごい!

 

でも、戦後になると一変します。

 

他の地域は企業体として地盤がありましたが、広瀬の売りはフットワークの軽い「お母ちゃんパワー」です。丈夫でしっかりとした糸、カラフル​​な染料、綺麗な柄の生地が、外国から入るようになると。和装の普段着としての綿着物はどんどん衰退し、

 

「わ、わたし、、機織りやめようかなー」

「私も、、そう思っていたんだよね」

「実は私も、、、。」

「じゃあ、せーのでやめる?」

「せーのっ!!」

 

という会話があったかはわかりませんが、すごい勢いで生産を伸ばし、すごい勢いで機織りの文化がなくなったのが「広瀬絣」だと聞いています。

 

糸を染めるための藍染紺屋は広瀬に当時7軒あったそうですが、現在は天野紺屋1軒です。どう考えても全く仕事がなかったのですが、仕事を見つけて、作って、広瀬絣をもう一度盛り上げて、何が何でも天野紺屋は続ける!と気張ってくれたおじいちゃんのお陰で今があります。

 

仕事を始めた当時は、仕事の重さみたいなものは全くわからなかったのですが、年々、続けるという重さを感じています◎80歳になったおじいちゃんがインタビューで『まだまだ勉強中です。』と答えた意味をかみしめています。

 

おじいちゃんありがとう!

 

 

天野紺屋

天野尚

 

 

 

 

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